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野球好き大学院修了生の頭の中

このままだと結婚は夢のまた夢なので、将来に向けての自己分析をしてみた

ひとり、またひとりと知り合いが結婚していく。今年に入ってから、毎週のように誰かしらの結婚報告を目にしていると思う。特に5月の初めなんかは、いわゆる「令和婚」を実感することができた。サークルの同期から結婚式の招待状が届いたのも最近の話である。おめでたい話だが、その一方でいったい自分は何をしているのかと情けなくなった、というのはここだけの話である。

大卒社会人であれば働き始めて丸3年経った世代だ。それより前に社会人となった知り合いも数多くいる。学生時代からのカップルであればそろそろ経済的にもいいタイミングなのかもしれない。最近はあまりに結婚報告が続くもんだから新鮮味も感じなくなってきた。昨日もFacebookかなんかで目にした。これが結婚ラッシュなんだろう。

 

その一方で、知り合いがフラれたというのを昨日知った。結婚も意識していたようだから、そのショックはさぞ大きいことだろう。せめて自分の知り合いだけでもみんな成就してほしいのだが、残念ながらそんな都合よくはいかない。もしかすると、自分については徐々に諦めモードに突入しておきながら「せめて自分の知り合いだけは……」なんて祈りは縁起が悪いのかもしれないが。

フラれるというのは、覚悟していたとしてもやはり傷付く。人生で振ったことはないけどフラれた経験は豊富な僕が言うのだから間違いない。どっぷり悲しみに浸かってそれにすら疲れるか、酒でも飲むか趣味に没頭するかでもしないとなかなか切り替えるのは難しい。

 

 

 

 

それにしても、恋愛が上手くいく人はなぜ上手くいくのだろう。なぜ結婚までこぎつけることができるのだろう。僕は一度将来的に結婚する方向で話がまとまったのにその数か月後にフラれたことがある。それ以来、恋愛から距離を置いていたし、独身でいいやとも思っていた。しかし、こうも結婚ラッシュを見せつけられたりすると、このままでいいのだろうかと迷いが生じた。口では「誰かと共同生活する自分が想像できない」とか「ひとりで気ままに生きたい」とか言っておきながら、結局結婚への憧れは捨てきれていないようだ。そうなると、結婚のけの字すら見えてこない現実は理想とかけ離れていることになる。そして、結婚しようと思うなら、この問題を解決する必要がある。

問題を解決する上で、まずは自己分析をして理想と現実のギャップを詳細に認識する必要がある。ということで、恋愛で大事な理想論と、自分の現状を挙げて、そのギャップを自己分析していきたい。

 

 

よく、「自信が大事」というのは耳にする。たしかに今自分に自信があるかと言われると、ないと言わざるを得ない。学生時代の人間関係での躓きが尾を引いているのも事実である。それに加えて、同じ道を志す人たちの大半が自分より優秀で、相手を楽しませる話術であったり、支えられるだけの財力とかいうものもない。ルックスが秀でているわけでもない。劣等感を挙げていけばキリがなくなる気がする。自分に惚れる人が仮にいたとしても、それがなぜなのかさっぱりわからない。まずは自分の長所を見付ける必要がありそうだが、かれこれ10年以上自問自答しているのに結論が出ていない。そもそもこんな内容のブログを書いちゃっている時点で自信のなさの何よりの証拠となるだろう。

「自信」とも関連するが、「余裕」が大事とも聞く。自分の欠点を隠さないとか、堂々としているといったことである。「完璧主義者は息苦しい」っていう意見もある。僕は自他共に認める完璧主義者だが、たしかに完璧主義者って余裕のなさの究極体かもしれない。小さなコンプレックスすらも無理して消そうとしているわけだから。完璧主義を捨てれば楽に生きられるというのも一理あるが、捨ててしまうとどうなるのか。ただでさえ本質は怠惰な人間である僕はどうなってしまうのか怖くて仕方がない。結局ここにも自分への「自信のなさ」が垣間見える。

また、「積極性」がなければなかなか成就しないのもおそらく事実である。「自信」がないから積極性がない、という意味もあれば、頑張る気力がない(すなわち「余裕」がない)、という意味もある。前者については、自信がないから相手を不快にさせないかと気にしてしまう。そうすると、声を掛けるとか、出会いを求めて動くという行為がよりハードルの高いものに感じてしまう。後者については、自分のことで精いっぱいで社会的にも自立できていない状況でありながら、恋愛に割く気力は残っていない。この余裕には僕の場合、金銭的問題も含まれてくる。

 

少し一般論から離れるが、僕自身の問題として「とっつきにくさ」はあるかもしれない。「何を考えているのかよくわからなくて疲れる」と過去に付き合っていた人に実際に言われたことがある。

このブログを読んでくれている人はきっと理解できないと思うが、僕は彼女相手であっても何を考えているのか見せないようにしていたことがある。なぜそんなことをしていたのか自分でも理由はわからない。とにかく自分の考えを見せるのが嫌。どれだけ近しい人に対しても絶対踏み込んできてほしくないラインというのは誰でもあると思うが(そもそもない人もいるかもしれないけど)、僕の場合そのラインが異常に浅い場所に引かれているのだと思う。

そして、自分を見せないよう相手の理想像を演じようとして、疲れて、うまくいかなくなる、という繰り返し。なぜ学業でなら多少は見せられる学習能力をここではまるで見せられないのだろう。

 

自分を見せたくないのはなぜか、と言ったら答えは「自分自身を嫌っているから」なのだろう。

先日、音楽プロデューサーのヒャダインさんが蒼井優さんの結婚に際して、蒼井優さんとのエピソードを明かしていた。

mdpr.jp

蒼井優さんがヒャダインさんに教えた「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要らしいよ」という内容の言葉が名言として注目されている。非常に納得したのだが、これも結局まず自分を愛せることが前提となる。その前提を欠いているのではどうにもならない。

自分を好きになれれば自信も多少持てるだろう。自信が持てたなら、余裕も生まれるし積極的にもなれるかもしれない。そのためにも、欠点を認めて自分を受け入れる必要があるだろう。

 

問題点が浮かび上がったなら、次はそのギャップを埋める対処法を見付けなければならない。この点はまだ検討もつかないから、またじっくり考える必要がある。今は少し時間がある。せっかくだから悩んでみてもいいかもしれない。