Be honest. Be ambitious.

野球好き大学院生の頭の中

150km/hへの憧れ。叶わなかった夢。それも前を向くため。

本日は2本立て。

 

 

 

 

オールスターを観た。やはり野球経験者として、一度でもプロを目指そうと思った人からすれば、今でもオールスターは憧れの舞台。出場してみたかった舞台。自分には到底できなかったプレーの数々。こういうのを観るたびに、憧れと諦めの両方の感情が入り混じる。昔ほど純粋な気持ちで観れなくなったのも事実だけど、同世代の活躍を誇りに思ったり、また新しい見方をするようにもなった。

 

 

 

 

僕が憧れたのは、ホームランでもなく、ファインプレーでもなく、剛速球。ピッチャーをやっていたというのもあるけど、ストレートでねじ伏せるピッチャーというものに子どもの頃からずっと心の底から憧れていた。

 

150km/h。僕にとってこの数字は特別だった。

 

小学校の頃、剛速球投手として名を馳せていたのは、松坂大輔投手、五十嵐亮太投手、藤川球児投手といった名前が挙がる。当時なら155km/hを記録すれば異次元のレベル。たしか2004年に五十嵐亮太投手が記録した158km/hは、当時のNPB最速タイ記録だったはず。今となっては大谷翔平選手が当然のように160km/h台を連発し、藤浪晋太郎投手や由規投手も160km/h台を記録した、そんな時代になったけど、当時の僕にとって「150km/hのストレート」というものは憧れそのものだった。

ちょうど駒大苫小牧の連覇達成も小学生だったころで、当時2年生だった田中将大投手が150km/hを記録したとき。しかも決勝戦の最後の一球で。これを観たことで「高校生でも記録するのか」と感じ、なおさら150km/hのストレートを投げたい!という気持ちが膨んだ。

 

中学時代野球部に入部してすぐにピッチャーを始めた僕は、ストレートへのこだわりが強かった。元々入部した時点で既に先輩方と比べても球は速かったし、遠投はその頃からチーム1を争っていた。それだけ肩には自信があった。しかも当時は身長が急激に伸びていて、体重の増加が追いつかなかったという時期。昔の健康診断の記録がまだ残っていたので見てみたけど、中1の時点で176cm54kgなんだから、まあこれから筋肉付けばもっと球も速くなるだろう、そう思ってた。正確に言うと、そう思うようにしていた。

 

 

本当はこのとき既に異変を感じてもいた。ひとつははっきりと、もうひとつはうっすらと。

 

一つ目というのは、これまで何度かこのブログでも話した気がするけど、成長痛のこと。小5から中2までの3年間で30センチくらい伸びているのだから、成長痛も伴って不思議ではない。ただ、それこそ松坂投手や藤川投手というのは180cm台の身長だから、僕としては「これで150km/h出す体格的なハンデはなくなるだろう」とむしろ安心したくらいだった。

 

ただ、それと同じく問題だった二つ目というのは、体重が増えなかった、言い換えると筋肉がなかなかつかなかったこと。体重を気にしている人からすれば、増えないなんてなんて贅沢な悩みなのか、と思うかもしれない。事実、僕も今となっては増えづらい体質に感謝している。だけど、当時、スポーツで大成したいと願っていた僕にとって筋肉がつかないことは大きな悩みだった。僕の成長期は中学校に入学した時点でほぼ終わっていた。だから、もう体重増加に転じてもいいはずだ、いくらなんでも体重増えなさすぎだろう、そんなことを思っていた。

自分でも信じられなかったのが、一時期どんどん体重が減っていったこと。別にバテて食欲不振に陥ったわけではない。むしろ身体を大きくするために食事の量は増やしていた。筋トレだってしていた。なのに、練習を続けていると体重が減っていった。今よりトレーニングの知識がなかったので何か方法を間違えていた可能性はもちろんあるけど、それにしても増えないのは謎だった。筋肉量が増えていたならよかったのだけど、そういうわけでもなさそうだった。

 球速は伸びてはいた。チームの中ではたぶん一番速かった。しかし、それでも120km/hそこそこだったはず。必死に増やした体重も、中学卒業時にまだ70kgには遠く及ばない。身長はほぼ今と変わらないのに。

 

そして高校進学後、成長痛の際に適切な処置をしなかった代償が僕を苦しめた。手術もした。簡単な手術だったから、すぐ治ると思っていたけど、そうじゃなかった。リハビリをしていたから練習になかなかいけない。そうするうちに部内の人間関係も軋轢が生まれていく。野球部を辞めるまでの時間もすぐだった。このあたりからずっと、できることなら忘れ去りたい記憶だらけ。

 

 

 

 

なぜある程度の球速を出せるのかは説明がつく。これは筋力じゃない。腕の長さ、肩甲そして骨の可動域。これは人より恵まれていたから、最大限にしなりを使って、それが球速を生み出してくれていた。もっとここに筋力が加わればスピードも出たのかもしれない。

でも、その筋力はつかなかった。本当に体重は増えない、筋肉もつかない、だからパワーがつかない。下半身は体質的に筋肉がつかない上に、膝を痛めていたからトレーニングもままならなかった。本当は、左膝は歩くのすらやっとだった日もあった。中学時代、先に成長期を迎えたから周囲よりは筋力があったけど、高校では全然だった。

 

 

僕は速球派にはなれなかった。力でねじ伏せる、という憧れの投球スタイルを手に入れることはできなかった。

憧れは、自分にないものが対象になるのだろう。僕はストレートを武器にしたかった。でも、スライダーのほうが得意だった。スライダーを使うためにストレートや他の球種をまぜる。その配分には自分の頭脳をフル回転させていた。たしかにこれで抑えることはできた。でもこのスタイルを求めていたんじゃない。

僕は中学時代、勝つためにストレートのスピードを捨てたことがある。正直屈辱だった。180cmを超える大男が非力な投球を披露するわけだから。本当に嫌だった。でも、最後の大会だった。勝つしかなかった。野球は個人競技じゃない。あくまで「チームのために何をするか」が最優先。そのためには、ストレートを捨てる必要があった。

 

 

今でも思うときがある。膝をしっかり治すべきだったのだろうか、と。膝を治していれば、きっとトレーニングももっと積めたし、150km/hに必要な身体を手に入れることができたかもしれない。だけど、あそこで無理をしていたからこそ僕はエースになれたんだ。たしかに、中学時代無理をしたから、プロはおろか甲子園も……いや高校時代試合で投げることすらできなかった。でも中学時代無理をしていなかったら、そもそも野球を続けていたのだろうか。

人生はリセットできない。選んだ道がきっと最適解だった。そう思うしかない。ただ、最適解だと認めると、僕は「プロになんかなれるわけなかった」ということを認めなければならないことにもなる。そこは正直悔しい。出来ないことを認めることほど悔しいことはない。

でも、認めないと始まらない。悔しいけど。本当に悔しいけど。ない才能はない。絶対認めたくないけど、認めなきゃならない。ただ、その才能が、目標達成のために絶対必要な唯一のものなわけではない。目標達成のアプローチは複数ある。じゃあ、他の才能を使ってその目標を達成することを考えるべき。武田勝投手は僕より遅い120km/hでファイターズの先発陣の大黒柱だったわけだから。

 

 

そう、松坂投手だって今は150km/hなんか投げられない。それでもマウンドに立っている。そして、シーズン中は抑えている。どんなにボロボロになっても、違う武器で抑えている。そしてオールスターという舞台に帰ってきたじゃないか。

今回は打ち込まれてしまったけど、松坂投手の姿に勇気を貰えた、そんなオールスターだった。

 

 

150km/hは叶わなかった夢だけど、今は前を向いて違う道を進んでいる。その道の中でも才能の無さを痛感する。じゃあ別の方法を、別の才能で突破することを考えよう。前を向こう。